三重大学50年史「ニュースレター」

 No. 7(1997. 7. 14 発行)

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ニュースレターの目次


本号の内容


臨時教育審議会答申後の一般教育改革

              人文学部元助教授  稲賀繁美

 戦後の学制改革に匹敵するといわれる大改革の季節を迎え、三重大学でも1996(平成8)年度より、従来の「一般教育部」が廃止され、あらたに全学の「共通教育」が発足した。従来教育学部と人文学部とに任せられたに等しかった大学の初期教育は、今回4年間ないし6年間一貫したカリキュラムのなかで抜本的に見直され、全学的な見地から、全学教官の主体的参加を得て運営されてゆくこととなる。その運営の要となる「共通教育機構」創設にいたる紆余曲折は本文に譲り、ここでは教育の現場に焦点を定め、改革の原点を確認しておきたい。
 第一に従来の知識詰め込み型の教育観からの脱皮を図り、学生の自発的な研究活動を授業の一貫として組み込むべく、セミナーの履修が大幅に拡大された。これには初期教育を目的とした、学部別のオリエンテーション科目、また全学共通のセミナーのふたつがある。
 第二に、全学共通セミナーと連動して総合科目と通常科目とを組み合わせ、特定の問題群にそって「主題別科目群」が編成された。これは従来個別の授業が週1度、互いに関連性を配慮することもなく個々別々に開講されていた事態からの脱却を図り、教官・学生双方に意識改革を求める試みである。総合科目による問題意識の点火と通常科目による体系的知識の援護のうえに、学生たちはセミナーによって自主的に研究し発表し討論する機会を得る。そのアウト・プットを主題研究論文へと結実させ、将来には副専攻、複数専攻を目指したい。
 第三に、理系・文系ともに広い意味での基礎教育の見直しがある。語学教育や保健体育教育を含め、従来ともすれば単位取得のための儀式と化して、目的意識を学生も教官も見失いがちな欠点があった。これを生涯学習の見地から見直し、卒業要件を越え、実利や教養をも兼備した視野から、学生に「気づき」の切っ掛けを与え、動機付けを図るという立場である。
 教育改革はけっして制度改革に終わるものではない。しかしながら全学の教育改革委員会での議論は、ともすれば全学的な利害調整や報告書執筆、条文の策定といった作業に多大な労力を割かれるあまり、教育現場の声を十分に反映する機会とはならなかった恨みがある。多くの宿題が発足したばかりの共通教育機構には残されている。新しい、しかもまだ未完成な器に魂を吹き込み、豊かな内実を与えられるか否かは、今後の教育現場での学生諸君との接触のありかたに掛かっている。仏造って、とならぬためにも、ここであらためて『一般教育の改革に向けて』にまとめられた提言へのご参照を願わずにはいられない。1993年7月に三重大学一般教育委員会の名でまとめられたこの90頁たらずの冊子は「三重大学一般教育問題検討特別委員会最終報告書」であり、今回の教育改革の骨子である。立案、試運転、そして吟味というフィードバックのプロセスは、まだようやくその試運転に掛かったばかりだ。

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MSUとの交流をふりかえる

       教育学部教授  若松孝慈

 教育学部の国際交流史の起点はどこに求めればよいのか定かでない。しかし、現在も続いている大学間交流とその規模を考えれば、米国のミシガン州立大学(通称MSU)との交流を起点とすることに異論はなかろう。
◆文部省海外派追学生と夏期研修
 ミシガン州立大学との交流は、公式には1974年から始まった。その年に、文部省海外派遣奨学生として同大学に派遣された最初の学生は古林(旧姓水口)良子(現在福井県在住)さんであった。その後毎年、2名ないし1名の学生が教育学部から同大学へ留学している。現在では、教育学部のみならず、三重大学全体が大学間交流を続けている。この元留学生のリーユニオンパーティーは毎年8月に今も続いている。そもそもMSUとの交流を発案し、本格化に尽力したのは、当時の国際交流委員長であった羽多野正美氏(三重大学名誉教授・現愛知学院短大教授)であり、氏の功績は非常に大きかった。氏は、「日本人留学生が比較的に少なくて、しかも典型的なアメリカの大学」としてMSUを選び、その判断は正しかった。正し過ぎたためか、MSUは、現在l10以上の国から2,300人もの「外国人留学生」(日本人のように、“foreign students”と呼ばずに、“international students”と呼ぶ)を受け入れている。そればかりか、「少ないはずの日本人学生」が、夏期研修時には、オーエン・センター(院生用の学寮)に、三重大、滋賀大、文教大、創価大、愛知学院短大・・・とひしめき合い、その他、平成9年から小学校に英語導人を実施し始めた韓国の小学校教師が50名近く滞在しているので、まさしく、「オリエンタル・オープン・ユニバーシティ」である。三重大生のための「MSU夏期研修」は、1984年から始まり、今夏で第l4回を迎えることになった。
◆「外国人教師」
 三重大学教育学部の「外国人教師」として来られたMSUの教授(または準教授)の中には、教育専門のエバリー先生、人文学部のノード先生、トムキンズ先生、ランドン先生、フィリップス先生、パウェル先生、エバンス先生などが記憶に新しく、日本の大学教師と違い、多くは、バイオリンやピアノの素晴らしい演奏ができたり、パイオニア精神の名残か、二階建てや三階建ての自宅や別荘くらい自分で建ててしまうところが信じがたい。一人ひとり情熱と誠実さをもった先生方であった。もうMSUを去られた先生方もおられるが、おられる先生方は今なおときどき三重大学の学生の世話をしてくださっている。
◆MSUの国際交流
 将来MSUへ留学をされる方々のために、少々スペースをとって紹介しておきたい。MSUのキャンパスは桁違いに広大で、学生数は46,000人である。国際交流部は、l956年に設置されたが、これはアメリカの諸大学の中でも最先端をいくものであった。現在、年間500人以上の学者が世界中から共同研究のために同大学を訪れ、110以上の国から2,300人くらいの外国人留学生が滞在している。ピース・コー・ボランティアの人数としては全米の大学では第3位を占め、アフリカ研究では、全米でもトップクラスである。

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三重大学吹奏楽団の半世紀

       教育学部教授  沖公智

 「東海代表三重大学吹奏楽団ー金賞」一瞬の静寂の後「ワーッ」「ヤッター」と揚がった歓声。1976年神奈川県立県民ホールにおける全日本吹奏楽コンクール全国大会でのことである。この年まで全国に行けたのは7回しかなく、賞は銀賞どまりであった。金賞を獲得することは団員の念願であり、夢であった。爾来毎年全国大会には出場し、金賞7回他には銀賞にとゞまっている。(もっとも2回程タイムオーバー等で出場出来なかったが…)
 三重大学吹奏楽団の歴史は古く1956年第1回以来l996年の定期演奏会まで40回を数える。その間大学内の学部の新設や統合等があり、学生数も増え、団員の数も比例的に増えた。又教育学部だけにとゞまらず、農・水・工・医・人文・教育(現在は農・水が一緒になり生物資源学部)と、幅広い人材が得られ、彼等学生の出身地も現在まで北は北海道から南は沖縄までの在団籍を記録している。
 団員数も70名を越えるとさまざまな人間が集まり、考え方も一つにまとまりにくい。海外演奏旅行(l976年アメリカ合衆国、l979年ョーロッパ)の時には、それを実現したいものそうでないものが相交錯し議論百出であった。しかし実行派がその意義と目的を説き、長時間話し合い、団員全員が参加できたのは、彼等自身の大いなる収穫であったといえよう。
 三重国体(l975年)の折には夏季・秋季の開閉会式の式典音楽のために貢献した。当団単独の演奏もあったが、県下の中学生・高校生のために実技指導を行った。その年はほとんどの日曜祭日を返上して活躍したのである。これは大いなる社会活動の一つであった。それ以来三重県の吹奏楽のレベルはぐっと上がったのである。
 又毎年小学校、中学校や障害者、お年寄りの施設等から依頼演奏が来て、その方面の方々に喜ばれている。これらのことは、彼等が教育現場、公務員や企業等社会の一員になった時に、在団中の努力、忍耐、話し合い、又は先輩後輩の関係等が大いに役立っていると巣立っていったOBは語っている。
 このような歴史を持ち40年という年が流れた。三重大学吹奏楽団としての音楽の色彩は充分に出ている。全国にその名が広がり、当団で一緒に演奏したいと希望しているものも少なくはないらしい。
 丸之内の校舎からスタートし、これまで卒団したものは約450名にのぼる。彼等が4年間音楽のみならずさまざまな修業を積み、人間形成を練りあい、社会に出て活躍していることは、痛快でありまた頼もしくも思われるのである。

三重大学吹奏楽団の写真
三重大学吹奏楽団 第41回定期演奏会
指揮:沖公智・中塚恵介・石田誠 1997.3.20
於:三重県総合文化センター大ホール (撮影)テス大阪

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専門委員会だより

1.三重大学開学50周年記念誌刊行専門委員会の検討経過(第14回委員会までについては(ニュースレターNo.4に記載)
第15回委員会(平成8年10月l6日)
 (1)通史編コラムの早期収集をはかることが要請された。
第16回委員会(平成8年12月l8日)
 (1)通史編コラム、部局史編コラムの収集状況についての説明
第17回委員会(平成9年3月19日)
 (1)通史編コラム、部局史編コラムの執筆、収集状況についての説明
 (2)事務機構の調整に伴う規定の改正
第18回委員会(平成9年5月21日)
 (1)記念誌刊行のスケジュールの若干の修正と第1次原稿完成までの刊行計画の再確認
 (2)通史編コラム、部局史編コラムの提出状況についての説明
 なお、この問4回編纂室委員会が開催されている。
2.今後の予定について
   原稿提出     平成9年9月末
   刊  行     平成11年5月
 各部局におかれましては、以上のスケジュールにしたがい執筆の方宜しくお願いします。
3.資科発掘のお願い
 三重大学開学50周年記念誌刊行専門委員会は、三重大学の半世紀の記録を収集するために、資料の発掘作業を行っています。このため三重大学に関する各種の資料・建物や記念行事などの写真などをお持ちか、また所在をご存じの方は、下記にご一報いただければと存じます。

三重大学附属図書館内  50周年記念誌編纂室  内線 2213

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<No.7 1997年7月14日>
三重大学開学50周年記念誌刊行専門委員会・同編纂室委員会発行
津市上浜町1515 TEL 059-231-9660
第7号担当委員 上野達彦(人文学部) 宮崎清(教育学部)