勉強は楽しい!?

工学部  石田 宗秋


 「学生の頃,勉強が楽しかった。」というと,「君のように勉強が楽しいというのは特殊なケースで,普通の人は勉強は楽しくはないよ。」という返事が返ってくることが多い。私は,世の中に勉強を楽しいと思っている人はたくさんいると思っている。『勉強』を国語辞典で調べると,@『努力をして困難に立ち向かうこと。熱心に物事を行なうこと。』,A『気がすすまないことを,しかたなしにすること。』,B『将来のために学問や技術などを学ぶこと。学習。また,社会生活や仕事などで修行や経験を積むこと。』,C『商品を安く売ること。商品を値引きして売ること。』とある。勉強を「楽しい」と言う人は,勉強の意味を@あるいはBとして捉え,「楽しくはない」と答える人は,勉強をAとして捉えているようである。この違いはどこから来るのか。一般に「遊びは楽しい」と思われている。「興味・好奇心によって楽しんで行うこと」をすべて「遊び」ということができれば,「楽しんで勉強できる人」は,「勉強も遊びのうち」で「遊びながら勉強している人」と考えることができる。

 なぜ多くの人が「勉強は楽しくない」と思っているのか。それは,幼少期から大学に入学するまでの間に,机の上だけの勉強(勉めて強いる)やコンピュータやテレビ画面上の仮想的経験だけをしてきて,「自然に触れて楽しむ」,「自然現象を見て不思議に思う,感動する」,「手助けをして喜んでもらいうれしかった」,「欲しいものを苦労して作り上げ感動した」などの実体験による経験が少なかったためと思われる。理科系に進もうとしている人を例にとってみると,「勉強が楽しい」と思っている人は,大抵は以下のような経験をしていると考える。

 幼少期,小学校時代は,遊びや手伝いを通して,繰り返し感覚的に自然に触れ,自然法則は経験的に体で覚える。「自然現象を人間が理解できるように法則(数式等)で表すこと(モデル化)」は意識していないし,理解する能力もない。中学,高校時代も,多少の数学,物理,化学,生物について学ぶが,座学だけでは「自然現象」との関係は実感としては理解できない。多くは遊びの中で経験的に何かの法則をつかみ,いろいろもの作って遊ぶ。作ったものが,何かの役に立って喜ばれる,褒められる(これについては,親や先生の役割が重要)。そしてまた,何か役に立つものを作る。このような経験をしたのちに大学に入ると,多くの自然現象が物理モデル・数学モデルで表され,数学によって導き出した解が,これまで経験してきた自然現象・物理現象を見事に表すこと,物理的知識・数学的知識がもの作りに大いに助けになることを知って驚き,感激する。その時から,さらに様々な物理現象に興味が湧き,物理,数学を学ぶことが楽しくなる。より高度なもの作りに励む。授業が進むより早く理解したくなり,予習中心の勉強になる。予習するとますます授業・勉強が楽しくなる。

 工学系だけではない。医学,経済学,社会学,文学,心理学等の分野においても,まずは,若い頃の何らかの関連した遊び・実体験が基になって興味が湧き,より多くの経験によりその興味を持続・維持させることによって,高度な学問を楽しく学ぶこととなる。一般に「遊ぶ力」を持った人は,限られた分野のみに興味は止まらない。この「楽しい」ということだけでも,「自分の考えたものが何らかの役に立って楽しい」となれば,「創造力」の大きな原動力の1つになると思われる。さらに,様々なことを学び経験することを通して,「楽しく,興味を持って学んでいる」ことと「人間関係・社会」との関わりが理解できるようになると,これまでバラバラに学んできたことが有機的に結びつき,「社会に役立つ」,「人類の幸せにつながる」より高い次元の「創造力」へと進むのではないかと思う。しかし,その原動力はやはり『遊ぶ力』ではないかと思うのである。

 ところで,今「勉強が楽しくない」,「将来どんなことをやったらやり甲斐があるのか分からない」という人はどうしたらよいか。ここに参考図書として紹介している『遊ぶ力と生きる力』という1冊の本が,これまでの自分を分析し,これからの生き方を考えてみる一つのきっかけになれば幸いである。今からでも遅くはない。幼少・少年期に体験できなかった「何か楽しいこと」から再スタートし,それを発展させ,「やり甲斐のある仕事」を見つけてほしいと思う。とにかく始めることである。

 筆者も最近,「やらなければならないこと」が増えてきて「やりたいこと」をやる機会が減り,「遊ぶ力」が減退してきたように思う。もう一度本を読み直して,元気を取り戻そうと思う。

(いしだ・むねあき)
【関連図書】
「遊ぶ力と生きる力」,高橋 敷(オサム)著,朱鷺書房[請求記号:370.4/Ta 33]


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