教育素材としての新聞情報の効用

人文学部  島津 秀典


 わたしは、10年近くにわたって社会科学科の経済学の演習(ゼミ)で、『日本経済新聞』を素材として利用している。最近では、専門書はもちろんのこと、活字の文献を敬遠する傾向が強いばかりか、新聞さえも購読していない学生がかなり多い。そのような状態ではゼミ自体が成り立たないと判断して、せめて新聞から始めて、社会・経済面の記事と友達になって慣れ親しみ、挌闘しながら科学の目的を達成しようとして新聞をゼミでの議論の素材として導入したという次第である。

 社会科学に限らず、科学の方法としては、なによりもまず目の前にある厳然たる事実から出発して、疑問・怒りや好奇心・関心をもとに、事実に徹底的な分析を加えてその深層に潜む本質を明らかにすることを通じて複雑に絡み合っている事実・現象を理論化・体系化することがその核心である。新聞はその点、事実の報道と紹介が大部分を占めているからその要請に応えてくれる素材を日々生のかたちで提供してくれる。

 ゼミの具体的な方法としては、記事のスクラップと整理 → 収集した記事のなかからゼミで取り上げるテーマの選択 → 選択された記事・テーマにもとづく「報告要旨」の作成・提出(全員) → 「報告要旨」をもとに「ゼミ進行案」作成 → ゼミ本番 → ゼミの記録・まとめ、というように進んでいく(詳しくは、「現実分析から理論認識への発展−専門演習における経済学教育の方法−」三重大学社会科学学会『法経論叢』第19巻第2号 2002年3月参照)。

 はじめは、ちんぷんかんぷんでわからなかった専門用語とか記事の内容もゼミで議論を重ねていくうちに、その本質とか相互関係とかがなんとか身に付いてきて、抵抗なく新聞が読めるようになり、社説とか評論記事に対しても自分なりの意見が持てるようになってくる。事実という難題に直面してけんけんがくがく疑問とか意見をぶつけ合って悪戦苦闘するなかで理解が深まってくる。世間に出回っている『日本経済新聞が1週間でわかるようになる』のたぐいのハウツウ本から仕入れた怪しげな先入観はかえって有害無益である。

 最近は、新聞もインターネットで提供されているが、一部分を除いてはテキストファイルなので整理・検索には都合がよい(図書館が提供している「聞蔵・朝日新聞データベース」など)ものの、一覧性と持ち運びの利便性という紙媒体のメリットを生かして期日に追われながら、ノリとハサミでかき集めた記事に掲載されている事実とぶつかっていくという原点を忘れないようにしたいものである。あえて図書館に対して要望するとすれば、主要日刊5紙にわたって画像処理された記事が直接閲覧できるようにしていただければありがたい。

(しまづ・ひでのり)


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