「学塔」No.99

(1998. 3. 25 発行)

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三重大学附属図書館報「学塔」


本号の内容


形式となかみ

教育学部 河合 優年

はじめに
 「形式となかみ」と言うタイトルを一読されて、はたして筆者はなにを伝えたいのだろうかと考えられた方が多いのではないだろうか。「形式」は漢語で「なかみ」は和語である。形式主義はあるが、なかみ主義はない。おそらく、「形式」に対しては「実質」などが対になるのであろうが、あえて「なかみ」と表した。これには、幾分の含みがある。和洋折衷ではないが、日本はどうも外からの事物を取り込む才に長けていて、いい意味で、外国のよいところを取り込み、自分のものにしてしまうところがあるようである。ところが、それが実質的な内容を伴わないで、形だけが取り込まれると、中身のない形式的なものになってしまう。形式は借りてこれても、その中身は歴史や文化的背景と独立ではないので、日本には持ち込めないことが多い。このような不整合が今日の様々な問題の根底にあるように思われる。政治や経済など、よそ様の問題に口をはさむほど知識があるわけではないので、もう少し自分に近いところの例を引きながら、これについて考えてみたい。

研究における形式と中身
 心理学は、見えない存在である心を、見える存在、客観的な存在としてとらえ理解しようとする学問で、きわめて今日的な学であると、自分では考えている。しかし、科学的な学としての歴史はそれほど長いわけではなく、現代心理学の祖とされるブントがライプチッヒ大学に実験心理学の研究室を創始したのは1879年のことである。では、それ以前に心理学が無かったのかと言うと、17世紀から18世紀にかけてイギリス連想心理学として実証的心理学が存在している。ただ、このときはきわめて哲学的な色彩が強く、今日の客観科学としての心理学とはやや異なったものであった。
 ブントが提示した自然科学的な研究方法は、その後の心理学研究を大きく押し進める原動力となった。今日の心理学で用いられている研究手続き、つまり実験計画法の形式に従うと、大学院クラスで研究を始めたばかりの学生でも、その道の大家の研究を追試することができるし、場合によっては発見的な研究を行うこともできる。もちろん、これこそが科学的な方法の利点なのであり、その結果として、研究効率や情報量を急激に増加させることができたのである。これは、心理学に限ったことではないはずである。
 しかし、一方でそのことによって失っているかもしれないものがあることにも気づかなければならない。それは、研究の背後にある哲学、つまり研究者のより深いところにある実質的な中身である。これは、自然科学としての心理学が母としている哲学的感性、先述してきたことで言うと、形式の背後にある歴史性に根付いているものである。学会などで同じ領域の研究者と話をする機会があると、「研究の背景」に何があるのかという素朴な質問をしたい誘惑にかられることがある。しかし、実際にこのような話題になると、どうも話が上滑りになって、それこそ中身が無くなってしまうことが多い。

What's the idea behind it?
 欧米に行くと、彼らの議論好きに参ってしまうことが多い。What's the idea behind it? は彼らの学生指導の決まり文句である。研究は研究として存在するのではなく、まさに心理学の歴史がそうであったように、その学問のそしてその個人の哲学のなせるわざであると多くの研究者が考えている。少なくとも私が知っている人々はそうである。彼らにとっては、「なかみ」なく「形式」があるとは考えられないのである。
 あまりに一般化すると叱られるので、私の知っている日本の心理学の若手研究者と大学院の学生という限定つきで言うことにするが、日本人はどうもこのような議論はにがてである。日本では、形式が整えばその根底にどのような哲学があるのかは改めて問われることはあまりない。むしろ深く考えずに、形式に従う方がうまくやってゆけることが多い。これは科学教育の思わぬ落し穴である。本来、何らかの問題意識があって研究が始まるはずなのに、効率的教育はそれをどこかに置き忘れさせたのである。エレガントで最新の研究者にその人の「なかみ」が見えてこない。西欧の博士(Ph.D.)に見られるように、サイエンスはフィロソフィアの中で追求されてきたのだが、日本が西欧から の科学論を取り入れた時には、その歴史の中にあった哲学的な流れを置き去りにしてきたように思われる。このことは心理学においてのみ問われている問題ではなく、ひろく日本の研究・教育活動一般についても言えるのではないだろうか。
 形から入った日本人は、その形式の故に様々な領域で急速に発展してきた。そして当然の結果として、その形の崩壊とともに本質が問われるようになってきたのである。近年の形式の崩壊、価値観の多様性は、これまでの形に従ってきた日本人の枠組みを剥ぎ取り、我々個々人の存在の原点がどこにあるのかを直視せざるをえないような状況を作り出している。私は、だからここで形式をすてよと言っているわけではない。ほんの一瞬でよいから、現在の自分を振り返ってなぜ自分は大学にいるのか、自分は何をしようとしているのかを問うてみてはどうかと投げかけをしているのである。私個人の問題としても、形式に依存してきてはいないか、振り返ってみたいと思っている。What do you havw in mind? 考えてみていただければ幸いである。

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読む・書く・調べる

人文学部 廣岡 義隆

 「読む・書く・話す・聞く」を言語行動の四領域という。フィルムライブラリーやAVコーナー等、視聴を目的とした場合を除いて、図書館では一般にこの内の「読む書く」が主となり、「話す聞く」は原則として禁じられている。
 「読む」とは「物を数える」意が原義である。コヨミ(暦)の「ヨミ」は日数をヨムことに由来している(因みにコはカ[日〕の音交替形)。これに対応する月読の語もある。月齢を数えることに由来するが、月読とは月の神名(男神)として出てくる(『萬葉集』等)。

 万智ちゃんが出てより妻は五・七・五・七・七と指を折ることのあり

 「歌を詠む」というヨムも本来は昔数律を数えるところに由来している。
 黙読の習慣は比較的新しいと言われる(玉上琢彌氏)。菅原孝標の女が「源氏の五十余巻」を耽読したのは音読か黙読か、これを論ずることはむつかしいが、歴史時代においてヨムとはまず声に出して読む音読を意味していた。でも現在、図書館で音読する人はまずいない。世間一般でも、特殊なケースを除いて黙読の世となってきている。
 「書く」とは「引っ掻く」意が原義である。大地や壁に俸で線を引く、これが原初的な「掻く」姿で、当初は絵が描かれた。「描く」とは「絵−書く」に由来し、漢字も象形文字に発している。古墳の壁に残る幾何学文様の一々に意味がこめられており、それらは黄泉(死後の世界)ヘのメッセージとして「書か」れている。
 同じ「書く」という行為でも毛筆・ペン・鉛筆等、その筆記具によって多少気分が異なってくる。少し以前、タイプライターによって清書する場合、これを「打つ」と言って「書く」行為と区別していたが、ワープロやパソコンが普及した現在においては、この「打つ」行為までが「書く」範疇に入ってきている。

 以下は本学図書館利用についての提言である。
 私が図書館を利用する場合はというと、その多くは「調べる」ためである。「調べる」のは「読む」(書く)ためであるが、図書館での読む行為は必要最低限となり∴その多くは「借り出し」たり、複写(コピー)したりして、自分の研究室で「読む」場合がほとんどである。何よりも研究室が落ち着き、熟読できる。と共に、図書館で折々会話が飛ぴ交うこともその一因となっている。でも、調べるのに時間がかかる場合や禁帯出の本でコピーがままならない場合、図書館で腰を据える。そういう時、話をしている人に静粛にしてほしいと申し出るが、逆にこちらが困惑する場合もある。学生諸君にとっては、家庭や下宿よりも図書館の方が落ち着いて研究できるであろうから、会話が飛び交う図書館はよくない(もっとも、平時の多くは静粛である)。
 雑談防止策として、利用システム上、整備すべき点がなくはない。
 共同学習室は開設されて久しいがその活用は充分でない。学生諸君が活用したいのは、課外の時間であろう。利用時間の拡大と学習室の拡充と共に、活用への周知が必要である。
 次に参考コーナーに検索コンピューターが設置されているが、この一角での会話が比較的多い。コンピューターコーナーや受付窓口は別区画とし、参考コーナーや読書コーナーと切り離してはどうであろうか。
 また学生諸君にとって、図書館は「読む」だけでなく「書く」ためにも存在しよう。そのためのパソコンやワープロを設置した一室が今後は必要となってくる。と共に、持ち込みのノート型パソコンはその一室で使用するよう指導する方策が必要であろう。勉学研究センターとしての図書館であり、日曜日の開館も切に望まれる。

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「三重県内公共図書館の大学図書館への要望に関するアンケート調査」結果について

 昭和56年の中教審答申「生涯教育について」を皮切りに、昭和63年には「社会教育局」を廃止して「生涯学習局」の設置等々と、文部省は生涯学習社会の到来にそなえての政策を推進してきましたが、平成4年の学術審議会答申「21世紀を展望した学術研究の総合的推進方策について」とそれを受けた平成6年の学術情報部会による「大学図書館機能の強化・高度化の推進について(報告)」において、「公共図書館との連携協力」、「地域社会・市民への公開」が提言され、本省の施策を踏まえて大学図書館においても、今後ますます、図書館の公開と地域社会での活動が求められていきます。
 そこで附属図書館では、市民サービスの窓口である公共図書館(室)のご意見を伺うことで市民の声の一端を拾うという趣旨で、標記の調査を下記の要領により実施いたしました。

 Q.生涯学習時代を迎え、今後さらに公共図書館と大学図書館との協力関係を発展させていく必要があると考えています。一般市民へのサービスについて、公共図書館の立場から大学図書館に対してどのようなことを期待しますか。また、問題点やその解決策についてもご教示願えれば幸いです。
  1. 三重大学附属図書館に対して。
  2. 県内の大学図書館(短大、高専を含む)に対して。
  3. 大学図書館全体に対して。
 上記のような項目を設けて質問しましたが、いただいた回答の内、ここでは、三重大学附属図書館に対する事項を掲げます。
 内容は大きく分けて(1)利用について、(2)蔵書数への期待、(3)蔵書情報の公開、(4)学外へのPR、の4つになりました。以下に内容別に簡単なコメントをつけて紹介してみます。(括弧内は回答文からの引用です。)

 (1)利用についてでは、「利用制限の緩和を」とあるのは、資料の閲覧・複写にとどまらず貸出も、とのことだと思いますが、「生涯学習時代における市民への公開」を実質的なものにするには、ILLにとどまらず対個人への貸出まで拡大することが必要条件だと考えております。ただ、次の項でも触れますが、研究用図書の多くは学部の研究室に配架されているのが現状です。目録等で所蔵を確認して来館しても、図書館内では利用できないことがあり、資料配置も今後の大きな検討課題です。
 「市民への閲覧サービスを」「閲覧、コピー可能に」「レファレンスに応じて」「ILLをお願いしたい」「複写依頼に応じて」等につきましては、現在既に実施しておりますが、PR不足の感があります。
 複写の場合、複写料金の前納制や納入告知書等、面倒な印象を与えているのも事実です。

 (2)蔵書数への期待に関しては、県内の大学では最大の蔵書数ですので「専門資料のサポートを」「資料に期待」と言っていただいておりますが、「蔵書の充実を」という声もあります。大学としては80万冊の蔵書でも図書館内に配架されているのは半数で、研究用図書の多くは各研究室に分散しているのが実情です。

 (3)蔵書情報の公開に対する要望につきましては、「蔵書情報を総合目録ネットかインターネットで」「情報公開」「蔵書の公開」とありますが、OPACは1996年9月からインターネット(URLは、http://www.lib.mie-u.ac.jp/Opac/OpacManual.html)でも公開しております。(注:現在このページはありません。OPACはhttp://www.lib.mie-u.ac.jp/ilis/search/で利用できます)「総合目録ネットに公共と同様の提供を」ということですが、データ提供の方法については参加が具体的になった時点で検討することになると思います。

 (4)学外への「PR不足」により「敷居が高い、車の乗り入れ制限がある」「アクセス悪く敷居が高い、場所不明」のような感想がでます。「利用案内」の作成やPRの方法を考える必要があり、利用案内につきましては、<<学外者のための利用案内>>(暫定版)を作成して各図書館に配付しました。

 また、その他の意見として「三重大学を会場にしたレファレンス研修が貴館を知るよい機会になった」があり、交流の大切さが感じられます。「総合目録ネットに期待、ILLがやりやすくなる」は三重大学蔵書への期待とも受け取られます。

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三重大学附属図書館での職員研修を終えて

三重県立図書館情報サービス課 米本 芳樹

 平成9年11月4日から約2週間、三重大学附属図書館参考調査係で研修職員としてお世話になりました。私が三重大学附属図書館での職場研修を言い渡された時は、正直に言って、公共図書館の職員が利用対象者や所蔵資料の傾向も異なる大学図書館へ行って、何を学ぶのか疑問でありました。また、学んできたことが、当館で実際、役に立つのだろうかと思いました。

 三重大学附属図書館の第一印象は、開架図書のレイアウトが少し複雑に見えました。詳しく説明すると、1階では十進分類法の1〜3、7〜9門群と0、4〜6門群が離れたコーナーにあり、概ね0〜9門まで順番に配置されている公共図書館に見慣れている私にとっては異様にも見えました。2階の逐次刊行物のコーナーでは、全ての誌名がアルファベット順になっており、和書までアルファベットに置き換えて(頭の中で)探さなければならないのは少し面倒でした。しかし、洋書が多い大学図書館ならではの配架なのかも知れません。また、目録カードに記されているL,C,M等の略記号も何を表しているのか、最初分かりませんでしたが、これは当館の別置記号にも言えることなので、これからは利用者にも簡単に分かるように表記しておく必要性を感じました。

 私が感じた不便な点ばかりを述べましたが、公共図書館にはない良い点も多々有りました。まず、豊富な外部データベース並びにCD-ROMです。このため、あらゆる分野において、専門的な情報を得ることができます。また、学内LANから情報処理センターを通して学術情報センターヘ接続しているので、どの端末からでも学術情報センターにアクセスでき、さらに接続しながら自館の所蔵検索もできるというのは本当に便利だと思いました。そして、何よりも参考調査係職員が検索ツールを全て使いこなせる、という点に大学図書館のレベルの高さを感じました。

 以上のことから、今回の職員研修は三重県立図書館にとってではなく、司書として勤務している私自身にとって有意義なものであったと思います。

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貴重書について

 三重大学の附属図書館でも数は少ないながら、貴重書とか稀覯本にあたるものを所蔵している。

 特に取扱いに困る程の点数が認められていなかったので、附属図書館としての貴重書基準は設けられておらず、それらに対して特別に貴重書の指定をしているわけではないが、一般的な基準を準用して、判明している限りの図書を別置している。

 一般的な基準とは、「国立国会図書館貴重書指定基準」と他大学の基準(昭和48年調査当時公表の7〜9大学のもの)とを勘案してという意味だが、それらの基準によると、線引きは、刊本の場合、出版年(基準では印刷年という場合が多い)の古さと資料的価値があるかどうかの二点でなされている。そして、出版年についての各大学の基準は、概ね国会図書館の基準に近いものの、図書館のコレクションの規模に応じてか若干のヴァリエーションがある。

 貴重書の基準にコレクションの大小は関係ないのかもしれないが、和書だと、国会図書館が慶長以前とし、中小規模の図書館では元和、寛永まで降るところが大半で、中には幕末までのものを貴重書とするところもある。

 洋書はもっと変化があり、国会図書館では16世紀以前(1600年以前)としているが、大学図書館では、1500年、1600年、1699年、1700年、1800年、1850年以前と様々である。1500年はグーテンベルクの印刷術発明から約50年の頃で、搖藍期の1500年以前に印刷された図書ならばインキュナブラとして正真正銘の貴重書であり、又、1800年や1850年は、目録規則(AACR2)で、1821年以前発行の図書を出版形態の違いから初期刊本(Early Printed Monographs)として、別に目録記述の方法を定めていることからもわかるように、19世紀前半が一つの時代を画していることからくるのだろう。

 これらからすると、洋書の場合、1600年代発行のものが出てきたら、貴重書と呼んでまず差し支えなさそうである。

 この度、研究室から返却されてきた図書の中に、大判で古色蒼然とした、いかにも貴重書といった外観の洋書があり、発行年を見ると1686年だった。図書館側が初めて認識したという意味での新しい貴重書の登場である。

 書名は"Francisci WUlughbeiide Historia Piscium(『ウィルビの魚類誌』)で出版地はOxonh(Oxford)。著者はFrancis Willughby(1635-1672)となっているが、実際は友人の博物学者John Ray(1627-1705)がウィルビの死後、生前の彼の経済的援助等の恩義に報いるため、大半はレイの仕事であるにも拘わらずウィルビの名を冠して出版したものである。

 レイとウィルビの交友関係については、伝記等を見ていただくとして、続く18世紀におけるGilbert Whiteの『セルボーンの博物誌』を文学作品として鑑賞するように、これも又、16世紀と18世紀のイギリスの博物学を結ぶ、実物標本の精緻な模写によるモノクロの銅版画作品として鑑賞するのも一興だと思われる。(M.H.)

主要日誌

10月6日(月)
平成9年度第3回附属図書館運営委員会開催
10月15日(水)
三重県大学図書館連絡会議(第19回)(於:松阪大学)河崎情報サービス課長、谷口専門員出席
10月30日(木)
平成9年度学術情報センターシンポジウム(於:大阪府立中央図書館)横山資料運用係長出席
11月10日(月)〜11月14日(金)
平成9年度漢籍担当職員講習会(於:京都大学)岩田目録情報係長出席
11月11日(火)〜11月14日(金)
平成9年度大学図書館職員講習会(於:大阪大学)後藤資料運用係員出席
11月18日(火)
三重大学附属図書館主催学術情報講演会開催(講師:文部省井深大学図書館係長、学術情報センター船渡川電子図書館専門員)
11月25日(火)〜11月26日(水)
第10回国立大学図書館協議会シンポジウム(於:神戸大学)河谷目録情報係員出席
1月22日(木)
平成9年度国立大学附属図書館事務部長会議(於:静岡大学)石倉事務部長出席

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三重大学附属図書館報「学塔」 No.99
1998年 3月25日 三重大学附属図書館発行
津市上浜町1515 TEL 059-232-1211 FAX 059-231-9086