かくして“附属”図書館は消えゆくのか

附属図書館長 富 岡 秀 雄

はじめに

 巷では図書館は人気上昇中の施設であるという。生涯学習という概念が浸透し、時間の余裕も出来、学習意欲が高まって来たためと言われている。そして、各地に素晴らしい図書館がお目見えしつつある。対照的に大学の図書館はその存続すら危ぶまれている。これは当大学だけの問題ではないようである。予算配分法の変化による書籍購入費の減少、学生の図書離れ、電子化への対応の遅れなどなど。それに追い打ちをかけるような独立行政法人化問題の出現である。岐路にある大学図書館について考え、問題提起したい。

国立大学だけが“附属”図書館を持つ

 国立大学の図書館について原田隆吉氏の解釈は大変興味深い(東北地区大学図書館協議会誌、第13・14号、1962年3月掲載:http://www.cc.mie-u.ac.jp/~ez13691/fuzoku.pdf)。原田氏によると、“附属図書館”という名称は国立大学でのみ用いられており、私立公立大学をはじめ他機関では単に“図書館”と呼ぶのが普通だそうである。
 これは「国立学校設置法」によって決められた名称である。しかもこの大学直属という意味での"附属”という名称は、ごく一部の例外を除き、国立大学諸機関の中でも図書館に対してのみ使われている。大学の本体は学部である。附属学校などの併設機関があり、また研究所のような附置施設もある。これらは学部の機能を十分に発揮させるための機関である。そしてこれらの機関に関しては、果たすべき役割が「学校教育法」等に明記されている。附属図書館はそのいずれでもない上に、細かい規定がない。これは大学における図書館の位置や機能は余りにも自明のことであり、大学の自治に任せるという建前を暗示している。すなわち、国立大学の附属図書館は、学内の類似する諸機関とは全く別個の存在をなしているというのである。

“附属”図書館の役割とは

 それでは附属図書館の役割とは何であろうか。原田氏の論文は続く。
 「大学は学問の府である。大学の学は静かに図書館に蓄積され、豊かに学部において発明される。そうして発明された結果はふたたび図書館に蓄積されるのである。この循環進展こそは大学の生命である。」
 「大学附属図書館の図書館世界に占める特殊な位置は、図書費や購入の問題ではない。本来的に学部が学を発明し理論を発明するために図書館が存在し、その研究の結果を図書館に架蔵されることをもって本来的な悦びとする学者が存在している。」
 「大学附属図書館は閲覧者を相手にサーヴィスばかりするところではない。利用者をして図書館書庫にその名を負うた一巻の書物を納入せしむべく働きかけるところであり、学部のあげた偉大な業績を学部に代わって永久に保管し、ながく後世に働かせ続けるところであるはずである。」
 約40年前に書かれた論文であるので、やや現状に即しないと感ずる部分はあるが、大学の図書館の本質をついた指摘である。

本学の附属図書館の現状

 本学の附属図書館も、勿論このように素晴らしい思想のもとに設置された附属図書館の一つである。しかし、その現状は高邁な理想とはかけ離れたものとなりつつある。
 例えば、購読外国雑誌は年々減少している。ここ5年間で約250タイトルも減少し、今年度契約雑誌(2001年刊行雑誌)は1,300タイトルを割った。同規模国立大学(15大学)の平均と比較しても、1999年刊行雑誌の段階ですでに400タイトルもの差があり、現在ではもっと開いているものと推測される。平成12年度から従来の予算配分法が一新された。これに伴い教育研究基盤校費も減少している。研究を行うために、やむなく購読雑誌を切りつめざるを得ないのであろう。しかし、これ以上学術雑誌が減少することは、学術研究の府としての国立大学の附属図書館の機能を失うことになろう。
 一方、本学の『学生生活実態調査報告書』(平成12年度)によると、本学学生の大学に対する要望事項の第一位が図書館の書籍の充実である。近くにある三重県立図書館に通う学生も多いと聞く。学生用図書費としては、学内控除として約1千万円と、本省からの約1千万円が唯一の財源である。これを全部使っても、学生一人当たり年間約2,600円の本しか買えないのである。実際にはこれらの予算の中から、図書館として最小限度必要な参考図書と雑誌、新聞、さらには高額二次資料の購入費を捻出しているので、実際に学生のために使える資金はさらに少ない。
 本学図書館が研究図書館としても、学習図書館としても十分には機能していないことを示す典型的な例を二つ挙げた。要するに、本学の附属図書館は“閲覧者を相手にサービスばかりするところ”にすらなっていないのである。これでは附属図書館本来の機能である、“学問の府の生命源として機能する”どころではない状態なのである。

独立行政法人化すると図書館はどうなるのか

 このような最中に、追い打ちをかけるように独立行政法人化が間近に迫っている。法人化された大学に対しては、国立大学設置法は適用されない。そうすると、附属図書館を置くかどうかは、当該法人大学の大学法によって規定されることになる。ここで強調しておきたいことは、法人化に関する本省や国大協の諸資料の中で、附属病院には言及されているが、附属図書館の視点は(少なくとも昨年度までは)皆無であったことである。このことは、法人化後の図書館に対する関心の薄さの現われであろう。事実、ある大学で検討された法人化後の大学法案に、図書館に関する規定がなく、図書館長の指摘で「附属図書館を置く」という規定が急遽追加されたと聞く。法人化後の国立大学には、どのようなことが期待されているのであろうか。藤田宙靖氏の論文( http://www.law.tohoku.ac.jp/~fujita/kouritsu-19991129.html )にも指摘されている通り、先ずは、大学が目指すものは何かを国民に明確に説明することである。そしてそれは、国家試験合格者を何人出すかという数量的な目標ではなく、またレジャーランド化したキャンパスを作るという経営目標でもない。そのようなことが目標であれば、それは民営化せずに独立行政法人として国の財政支出を続けることの意味が失われるからである。そうであれば、やはり大学は学術研究をその中心に据えるという姿勢を保ち続ける以外には、国立大学法人として生き残る道は無いのではないだろうか。そして、そうであれば、“学術成果を静かに蓄積し活用する”附属図書館は不可欠な存在であることは自明であろう。

終わりに

 再び原田氏の論文に戻ろう。「“附属図書館”の語から“附属”を取り除くならば図書館は校舎や教具と等しく単なる施設として取扱われ、職員はかつての高等・専門学校の書記と同じになる。」と彼は説く。そして「明治30年東京、京都の両帝国大学に附属図書館が置かれるまでは、正しくその通りであった。」と結んでいる。
 当大学の図書館が、法人格取得後も学問の府として、学術研究と高等教育の循環機能を保つために“附属図書館”として残るのか、はたまた、単なる図書館という“建物”になり、本の閲覧・貸出業務だけを担うだけでよいのか。早急かつ真剣な検討を要する問題である。

(とみおか・ひでお)

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