二面性・うらおもて・ナイトあんどデイ…

工学部 五 十 君 清 司

 よく言われることであるがものごとには「裏表」二つの意味がある。別な言い方を考えると「二面性」、「対極性」、・・・・・等と浮かんでくる。言語学的な正しい定義から言うとまったく違っていてとんでもないこともあると思うが、一般の人にとっては同じ様なものではないだろうか。人間も大抵は二面性を持っており、場合によってこれが大きく表面に現れて周りを驚かすこともある。極端な例が「ジキル博士とハイド氏」かも知れない。 カット1 これほど有名でなくても二面性を感じることはきっとあると思う。お釈迦様やキリスト等の聖人君子は別として、普通ならきっとどこかに相反する二面性が潜んでいるのだと思うがどうであろうか。ただ私がここで書こうとしているのはそれではなく、もっと広く緩く捉えた物ごとの二面性の話である。丸い地球上に住む毎日の生活も昼と夜の二面性の中で営まれ活動の原点にもなっている。「五時から男」と「五時まで男」は同一人でないから二面性ではない。夜になれば大抵の人は睡魔に包まれ眠りに落ち、朝になれば目が覚め頭が冴えて活動が始まる。
 そう、前置きが長くなってしまったけれども、誰もが経験をしたことがあるように、本を読んでいるときの感覚を考えてみると面白いのではないだろうか。本を読むと言っても楽しみで読む本、必要に迫られて読む本、時間つぶし(手持ち無沙汰をしのぐため)に読む本、等々色々な場合がある。読んでいる内に思わず瞼が重くなってふと意識が遠くなってしまうことも、逆に知らず知らずに引き込まれて時間の経つのも忘れてしまうこともある。これも立派な読書の二面性ではないかと思ったのがこの文のヒントである。
 自分の研究に関わる専門分野の書物は嫌でも読まざるを得ないし、眠っていては商売にならない。騙し騙しでも読み進むことになる。もっと気軽にプレッシャーのない本は、正直に自分の集中度が現れてしまう。私は歴史や科学の物語や小説が好きで結構あれこれと読み通した。文学の大作も有名な物は読んできた。夜寝る前に布団の中で気乗りしない本を読んだり、出張の道中新幹線の車内でその手の本を読むと、睡眠を誘発して退屈な時間を知らぬ間に過ごしてしまうこともできる。こんな本が一冊有りさえすれば睡眠薬も不要となり、健康にも良いではないか。経済的にも優れた手段といえるのではないか。学生諸君が授業中に先生の講義を子守歌にうつらうつらするのは、講義に魅力が有るか無いかという二面性の現れと見ることもできる。
カット2  今では月の裏側が神秘の世界だなどと誰も思わない。裏も表も余り違いがない姿をしていると誰もが知っている。それでは太陽の裏側はどうだろうか。貴方の後ろ姿は?

(いそぎみ・きよし)

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