知のあり方と地域に開かれた図書館

― 地域情報の収集・整理・分析機能の分担・支援 ―

生物資源学部 大原興太郎

 昨今の大学改革の背景要因の一つには「知のあり方」に関する問題提起があると理解される。20世紀後半は周知のように科学技術が怒涛のように進展した時代である。しかしながら、原子力、生命操作、経済成長とそれに伴う膨大な廃棄物量、どれをとってもある種の人類への恵みが同時に深刻なマイナスを伴うようになっている。
 この間科学者・研究者は知的な興味あるいは研究費の政策誘導によって研究を進めてきた。それが社会にどのような影響をもたらすかは全く別次元の話であった。研究者が知的な興味によって研究を進めること自体は非難されることではない。しかし、科学と社会との関係性をもう少し意識することが要請される時代になっている。応用科学や実際科学といわれる領域ではとりわけそうである。
 昨年の国レベルの科学技術社会論学会や社会技術フォーラムの立ち上げ、2002年4月から動き出す生物資源学部の紀伊黒潮生命地域フィールドサイエンスセンター(その中でも期待されるのが地域情報ネットワーク推進会議である)などもこうした歴史的文脈の中で理解することができる。
 さらに多くの国民の高学歴化と学ぶ機会の増加等による生涯学習社会化は知の生産と消費に関する専門家と素人の距離を急速に縮めたといえる。こういう時代には知はより社会や一般に開かれ、人々の知的能力の発展をサポートするものであるべきであろう。
 こうした認識からすれば大学における研究者の知のサポート機能を果たしている附属図書館も地域に開かれるべきは当然である。ではどういう状態が地域に開かれているといえるのか。図書館が大学人だけでなく広く地域の人々に利用されやすくするということは当然であり、この点については早くからそれなりの努力が払われてきたと思われる。
 ここではもう一つの開かれ方について提起してみたい。それは地域情報の収集・整理・分析機能の提供である。生活地域、すなわち、私たちが「住まい」、「食べ」、「働く」場所としてのトータルな地域の情報を地域毎(例えば市町村毎)に収集し、整理し、分析するのである。研究者として地域にかかわった人なら気が付いているであろうが、肝心の地域のトータルな情報が個々の地域で必ずしも揃っていない。
 統計なども基本情報はむしろ国の中央に集められていて市町村にないことがしばしばあるし、さまざまな研究者による調査が行われていてもバラバラであったり、当該の地域になかったりする。見栄えのよい町勢要覧なども外注するためか意外と町の人が知らなかったり、いいことが書いてあるのに現実には生かされていなかったりする
 これからの時代はお上任せ、他人任せなどではなく、地域の人自ら地域の問題に取り組むことがより必要になり、かつ可能になってきている。しかしながら情報の収集や分析にはそれなりの専門性があり、知的労働者や外部者は地域の問題解決をサポートすることができる。地域にかかわる教官・研究者が図書館とより連携を深めることによって図書館機能はよりよく地域に貢献できると思われる。
(おおはら・こうたろう)

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