大学生の読書力

医学部  我部山キヨ子


 国際収支・財政・教育など314項目から49カ国の国際競争力を調べたIMDランキングによると、日本は1991年までは1位でしたが、2002年には30位に低下し、その中でも大学教育は最低位にランクされるに至っています。国内でも、学生の学力低下問題は大きな論議を呼んでいます。新学習指導要領では小学校は3桁以上の掛け算や4桁以上の足し算を扱わず、中学校の英語の必修単語は500語から100語に減らされ、大学生の計算能力調査でも理工系の学生でさえマイナスが入った簡単な四則演算問題を1/3以上間違えるなど(西村和雄)、枚挙に暇がありません。学力低下は1990年代から顕著になった(大阪教育大の調査)とされており、国外における日本のランク下げの時期と符合しています。

 この日本の地盤沈下を、斉藤孝は日本人、特に学生の読書離れという側面から説明し、作家の辻井喬は日本ではいい本も本屋の隅に追いやられて、文化・芸術の全てが困難な時期にあり、伝統や知識の伝承が途絶えつつあると述べています。   

 読書は自分の世界観や価値観を形成するなど自己形成に貢献し、他者理解力を促す最良の方法です。斉藤孝は読書力がある規準として文庫系百冊新書系五十冊を読んでいることとし、読む速度は4年で百冊を目安としています。篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」は外国人でありながら日本に関する書物を千冊読んだとされており、斉藤の示す目安はむしろ少ないかも知れません。

 私も小学校高学年から中学生にかけて世界及び日本文学全集に夢中になり、毎日1冊のペースで夜8時頃から読み始め朝方まで読んで、学校の図書館にある文庫類はほぼ読破した記憶があります。そのため朝はボーとしていて、体と頭が覚醒するのは午後からという生活をかなり長期間続けたものです。今はその詳細は忘れましたが、熱中して行ったことは現在でも自分の土台の1部になっています。著者が長い時を費やして得た知見に直接触れることができる新書系も、若い時代にはありがちですが心理学・哲学系統に偏って読みました。物語性が強い文庫系は自然と頭に入りますが、知識伝承性が強い新書系は斉藤孝が推奨するように赤は「すごく大事」、青は「まあ大事」、緑は「おもしろい」というように色分けして読まないと内容把握は難しいと思われます。

 教養があるということは幅広い知識を持ち、総合的な判断を下せることですが、それは幅広い読書により獲得できます。しかし、IT器機でどのような情報も簡単に取り出せる現在、成書を読む機会はほとんどなくなりました。国語に関する世論調査(文化庁, 2003.6月)でも、本を全く読まない人は全国で37.6%に及んでいます。

 文章力や論理的思考力は学術論文のような短文でなく、長文を数多く読むことによって身に付きます。また、膨大な情報から適切な資料を選択して体系化する能力も、多くの書物を批判的に読む中から生まれます。IT産業の普及は読書離れを導き、読書離れはこれらの能力の発達に悪影響を及ぼしているように思われます。今からでも少しずつ良書を読むことを習慣づけ、専門分野以外の雑学も深め、話題豊富で魅力的な自己形成を目指して欲しいものです。それは大学生の今こそできるのです。

(かべやま・きよこ)


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