- *印は、本コレクションには含まれていない。本学はコピーを所蔵。
- 檜山繁樹は土井治氏の筆名で、筆名で発表したもののみ姓名を記述した。
●翻訳書
- 阿部知二編『現代英米文学短編集』 中央公論社 1941 (現代世界文學叢書 6)
- キャサリン・マンスフィールド『大佐の娘』河出書房1943(『新世界文學全集15』所収)
- 中野好夫『エリザベス朝演劇講話』新月社 1947
- ジョージ・エリオット『サイラス・マアナー』新月社 1948 (英米名著叢書)
- ナサニエル・ホーソン『ワンダー・ブック』新月社 1949 (新月少年世界文学 5)
- ジョージ・エリオット『サイラス・マアナー』上・下巻 岩波 1952 (岩波文庫)
- 福原麟太郎編『イギリス短編集』 河出書房 1953(河出書房市民文庫)
- オルダス・ハツクスレー『すばらしい新世界; ジョコンダの微笑 ; 小アルキメデス ; スペンサー伯父さん』松村達灘,土井治訳 三笠書房 1954 (現代世界文学全集 14)
- レティス・クーバー著『ジョージ・エリオット』研究社 1956 (英文学ハンドブック「作家と作品」 No.15)
- エリザベス・ボウエン『最後の夜・りんごの木』松村達灘,土井治訳 英宝社 1957
- オルダス・ハックスレー『昼食と尼僧の話』(サマセット・モーム編 『世界文学100選』5巻 河出書房新社 1961 所収)・中野好夫『エリザベス朝演劇講話』八潮出版社 1964 (新月社 1947刊の再刊)
- ジョージ・ギッシング『三文文士』北沢図書出版 1969
- ジョージ・エリオット 『サイラス・マーナー』 岩波 1988(岩波文庫)
- ジョージ・ギッシング『三文文士』秀文インターナショナル 1988 (『ギッシング選集』第1巻所収)
- ジョージ・ギッシング『埋火,イオニア海のほとり』土井治,小池滋訳 秀文インターナショナル 1988(『ギッシング選集』第4巻所収)
- アフラ・ベイン『オルノーコ・美しい浮気女』岩波 1988(岩波文庫)
○著作(発行年代順)
- 『季節風』 赤門出版 1941
檜山繁樹の筆名で,同人雑誌『群島』に昭和13年8月号から昭和15年8月号まで,9回にわたって連載された長編小説。
- 『春夏秋冬』 南海日日新聞社,1985
「南海日日新聞」に1956年から1985年までに掲載されたコラム記事から抜粋してまとめたもので,南海日日新聞の通算1万号を記念して出版。
- 『青春』 近代文藝社 1995
晩年に編まれた短編小説集。昭和9年から12年までの大学在学中に書かれた短編小説13編を収める。土井氏の傘寿を記念して,檜山繁樹の筆名で出版。
- 岩波文庫編集部『私と岩波文庫:忘れえぬ一冊』 岩波 1997
「忘れえぬ一冊 −『草枕』」 三重県 土井治(八十ニ歳 コラムニスト)として掲載。
●同人雑誌寄稿作品
- 『失敗はしたが』(城 7 104−109 1932.2)
- 『帰らぬ船』(城 8 30−38 1932.7)
- 『林檎(ウェールズ)』(翻訳)(城 9 82−96 1932.10)
- 『半日閑』(詩歌)(城 11 84−87 1933.2)
- 『帰省の日』(小説)(城 11 141−152 1933.2)
- 『萬年青』(創作)(城 12 25−49 1933.2) 末尾に「未完」とあり。
- 『萬年青』(創作)(城 13 39−72 1933.7)
- 『『退屈な悲劇』を讀みて』(文芸部雑記)(城 13 80−81 1933.7)
- 檜山繁樹『地蔵堂半蔵記:山と海との小さな町』(小説)(赤門文學1(1) 5−34 昭和16.12(1941))(昭和16年10月6日改稿)
- 檜山繁樹『魚霊:山と海との小さな町』(創作)(赤門文學2(4)105−131 昭和17.4(1942))
(この篇は,本誌の創刊號に発表した「地蔵堂半蔵記」と同じく,「山と海との小さな町」の主題の連作の一篇をなすものである。しかし,これはこの篇だけでまとまりを持たせたものである。作者誌す。昭和17年2月11日)
- 檜山繁樹『宇田彰のこと』(追憶と回想)(赤門文學2(5)98−99 昭和17.5(1942))
- 檜山繁樹『谿間』(小説)(赤門文學 2(10)120−143 昭和17.10(1942))
- 檜山繁樹『谿間(二)』(小説)(赤門文學 2(12)57−95 昭和18.1(1943)) (未完)
- 檜山繁樹『谿間(三)』(小説)(赤門文學 3(2/3)49−71 昭和18.3(1943))(未完)
- 檜山繁樹『蛾』(小説)(赤門文學 3(11)24−42 昭和18.11(1943))
- 檜山繁樹『狭き園(詩)』(群島 2(2) 32〜33 昭和10.2(1935))
- 檜山繁樹『逃げる』(群島 2(3) 26〜40 昭和10.3(1935))
- 檜山繁樹 『成長』(群島 2(5) 27〜46 昭和10.5(1935)) (10・4・4)
- 檜山繁樹 『都會の月』(群島 2(6) 78〜82 昭和10.6(1935))
- 檜山繁樹 『梶の死』(群島 2(7) 19〜26 昭和10.7(1935)) (10・6・10)
- 檜山繁樹 『父子相傳』(群島 2(10) 38〜53 昭和10.10(1935)) (10・6・10)
- 檜山繁樹 『童僊(第一回』(群島 2(12) 4〜23 昭和10.12(1935))
- 檜山繁樹 『童僊(第二回』(小説)(群島 3(2) 29〜48 昭和11.2(1936))
- 檜山繁樹 『童僊(第三回』(小説)(群島 3(3) 42〜55 昭和11.3(1936))
- 檜山繁樹 『童僊(第四回』(小説)(群島 3(4) 42〜65 昭和11.4(1936))
- 檜山繁樹 『痩身記』(あと・らんだむ)(群島 3(5) 32〜33 昭和11.5(1936))
- 檜山繁樹 『童僊(第五回』(小説)(群島 3(5) 38〜51 昭和11.5(1936))
- 檜山繁樹 『童僊(第六回』(小説)(群島 3(6) 80〜93 昭和11.6(1936))
- 檜山繁樹 『長篇のこと』(あと・らんだむ)(群島 3(6) 119〜120 昭和11.6(1936))
- 檜山繁樹 『童僊(第七回』(小説)(群島 3(7) 32〜42 昭和11.7(1936))
- 檜山繁樹 『奇術』(あと・らんだむ)(群島 3(7) 56〜57 昭和11.7(1936))
- 檜山繁樹 『白痴(小説)』(群島 3(8) 44〜64 昭和11.10(1936))
(1936.7.19 −信濃追分にて−)
- 檜山繁樹 『多摩木泰氏は』(あと・らんだむ)(群島 3(9) 42〜43 昭和11.11(1936))
- 檜山繁樹 『あん おらくる』(あと・らんだむ)(群島 4(1) 60〜61 昭和12.1(1937))
- 檜山繁樹 『硝子窓の中から』(あと・らんだむ)(群島 4(2) 45〜46 昭和12.2(1937))
(1937.1.13)
- 檜山繁樹 『小さき町で』(群島 4(3) 4〜22 昭和12.3(1937))
作者附記 この一篇は未完成長編「童僊」の一挿話としての性質を持ってゐる。勿論獨立の一篇と考へられても差支ない。1937年1月15日紀州の小さき町で。
- 檜山繁樹 『わが住む界隈』(群島 4(3) 31 昭和12.3(1937)) 2・15
- 檜山繁樹 『林檎綺談』(群島 4(4) 16〜21 昭和12.4(1937)) 1937・3・14
- 檜山繁樹 『『普賢』に就いて』(群島 4(4) 42〜53 昭和12.4(1937))
- 檜山繁樹 『稲妻』(群島 4(5) 37〜43 昭和12.6(1937)) 1937・5・4
- 檜山繁樹 『同人消息』(あと・らんだむ)(群島 4(5) 28〜30 昭和12.6(1937))
- 檜山繁樹 『娑羅の花(帰朝篇)』(群島 4(6) 4〜22 昭和12.10(1937))1937・9・11
- 檜山繁樹 『娑羅の花(因縁篇』(群島 5(1) 4〜22 昭和13.1(1938))1937・11・18
- 檜山繁樹 『追分油屋のことなど』(あと・らんだむ)(群島 5(1) 71〜72 昭和13.1(1938))
1937・11・21
- 檜山繁樹 『綴方教室(短篇)』(創作小説)(群島 5(2) 40〜46 昭和13.5(1938))
1938・3・21
- 檜山繁樹 『道(小説)』(群島 5(3) 54〜76 昭和13.8(1938)) 1938・6・1
- 檜山繁樹 『湖畔(四十一枚)』(群島 5(4) 19〜36 昭和13.10(1938)) 1938・9・4
- 檜山繁樹 『春雷(四十八枚)』(群島 6(1) 27〜48 昭和14.1(1939))
追記 毎回題をかへてゐますが,第三十五號依頼の長篇「道」の一部です。(・・・以下略)
1938・11・11
- 檜山繁樹 『花散りて(五十七枚)』(群島 6(2) 64〜86 昭和14.3(1939))
(長篇「道」第四章以上第一篇『春』をはり 1939・2・9)
- 檜山繁樹 『季節風』(群島 6(4) 90〜109 昭和14.6(1939)) 1939・10・5
- 檜山繁樹 『季節風(つづき)−長篇「道」の第六回−』(群島 6(4) 56〜73 昭和14.11(1939))
(長篇「道」の第二篇第一章 1939・4・24)
- 檜山繁樹 『岐路 −長篇「道」の第七回−』(群島 7(1) 67〜84 昭和15.2(1940))
1939・12・1
- 檜山繁樹 『嵐 −長篇「道」の第八回−』(群島 7(2) 12〜31 昭和15.5(1940))
1940・3・29
- 檜山繁樹 『道を終へて』(群島 7(3) 32〜33 昭和15.8(1940))
- 檜山繁樹 『道(終篇)』(群島 7(3) 49〜64 昭和15.8(1940))1940・6・27
- 檜山繁樹 『彼岸』(小説)(群島 7(4) 63〜92 昭和15.11(1940))15・9・29
- 檜山繁樹 『母の顔』(創作)(群島 8(1) 93〜103 昭和16.3(1940))16・1・16
- 檜山繁樹 『神話 −山と海との小さな町−』(創作)(群島 8(2) 4〜12 昭和16.6(1940)) (第一章發端了)
- 『林檎みのる頃:立原道造に』(小説)(詩と小説 第1輯 48〜60 昭和11.11(1936)) (1936.10.10)
- 『同人雑記』(同人雑記)(詩と小説 第1輯 82〜83 昭和11.11(1936))
- 檜山繁樹『納豆』(小説)(詩と小説 第2輯 47〜52 昭和12.2(1937)
- 『純正喜劇の待望』(同人雑記)(詩と小説 第5輯 107 昭和12.11(1937))
- 檜山繁樹『六さんと犬と』(小説)(詩と小説 第7輯 13〜24 昭和13.6(1938) 1938.3.9
- 『晩春日記』(随筆)(詩と小説 第7輯 71〜74 昭和13.6(1938))
- 檜山繁樹『映画評 −疲れた観客の−』(評論)(詩と小説 第8輯 62〜64 昭和14.3(1939))
「田園交響楽」「人生劇場残侠篇」の批評
- 檜山繁樹『蝕(むしばみ)』(小説)(詩と小説 第9輯 44〜64 昭和13.11(1938))
- 『文藝雑感』(詩と小説 第9輯 74〜76 昭和13.11(1938))
- 『編輯後記』(詩と小説 第9輯 84 昭和13.11(1938))
- 檜山繁樹『狐盗人』(詩と小説 第10輯 27〜42 昭和14.3(1939)) 1938.11.23
- 檜山繁樹『朝』(詩と小説 第11輯 72〜103 昭和14.7(1939)) 1939.5.26
- 檜山繁樹『米安好人のことども』(米安好人追悼特輯)(詩と小説 第11輯 11〜12 昭和14.7(1939))
- 檜山繁樹『故郷』(詩と小説 第11輯 13〜31 昭和14.10(1939)) 1939.8.30
- 檜山繁樹『立原道造のこと』(詩と小説 第13輯 90〜93 昭和15.1(1940))
解説:昭和14年3月に亡くなった立原道造を追悼した土井氏の随筆「立原道造のこと」掲載。追分での出会いや,紀州旅行などが回想されている。
- 檜山繁樹『思ひ出』(詩と小説 第14輯 1〜13 昭和15.7(1940))
- 檜山繁樹『笑ひを撒く男』(詩と小説 第14輯 37〜41 昭和15.7(1940))
- 檜山繁樹『里見氏の疲労』(詩と小説 第15輯 74〜41 昭和15.10(1940))15・9・7
- 檜山繁樹 『青春』(方向 No.2 26〜37 昭和9.7(1934)) (六,一)
- 檜山繁樹 『手文庫』(方向 No.4 33〜38 昭和9.11(1934))
- 檜山繁樹 『丘の上』(方向 No.5 1〜21 昭和9.12(1934))
- 『冬眠日記』(童説 p.26〜30 1937)*
- 檜山繁樹『疑問』(童説 3(2) p.55〜 )*
- 『和田傳著「沃土」』(評論)(童説 4(1) p.35〜37 1938)*
- 『霊薬』(同塵集 その2)」(童説 再刊1 24〜25 1963.4)
- 『ロンドン一瞥』(童説 再刊2 59〜64 1963.4)1963.8.21
- 『シェイクスピアの劇』(海彼通信)(童説 再刊3 47〜48 1964.5)
- 『霊薬』(同塵集 その2)(童説 再刊1 24〜25 1963.4)
- 『ロンドン一瞥』(童説 再刊2 59〜64 1963.4)1963.8.21
- 『シェイクスピアの劇』(海彼通信)(童説 再刊3 47〜48 1964.5)
- 『おゝ曙光満港の景』(同塵集 その2)(童説 再刊4 42〜44 1964.11)
- 『大学教師の人間像』(同塵集 その1)(童説 再刊5 21〜23 1965.5)
- 『メレディス晩年の地』(童説 再刊6 11〜13 1965.12)1963.8.21
- 『英文学は面白くない』(同塵集 その1)(童説 再刊7 3〜7 1966.6)
- 「はがき通信(四)」(童説 再刊7 56 1966.6)
- 『都電礼賛』(同塵集 その1)(童説 再刊8 17〜19 1966.11)
- 『菅良氏の最後の手紙』(童説 再刊8 60〜61 1966.11)
- 「あとがき」(童説 再刊8 63 1966.11)
- 『都電礼賛』(同塵集 その1)(童説 再刊8 17〜19 1966.11)
- 『講師・菅良先生』(同塵集 その1)(童説 再刊9 27〜29 1967.5)
- 「はがき通信」(童説 再刊9 75 1967.5)
- 『「もがり笛」と「サイラス・マアナー」』(同塵集)(童説 再刊10 6〜8 1968.4)
- 『ジョージ・ギッシングと三人の妻』(童説 再刊11 51〜56 1968.12)
- 『追憶:北川桃雄さん』(同塵集)(童説 再刊12 22〜25 1969.11)
- 『あるセールスマン』(同塵集)(童説 再刊13 13〜15 1971.3)
- 『脱東京』(同塵集)(童説 再刊14 21〜23 1972.7)
- 『こね鮓』(同塵集)(童説 再刊15 19〜21 1972.7)
- 「はがき通信」(童説 再刊15 34〜35 1973.5) 家族の状況
- 『新聞のオウナー』(同塵集)(童説 再刊16 8〜9 1974.12)
- 「通信」(童説 再刊16 32 1974.12)
- 『青春の書:トマス・ハーディ「緑の木蔭」阿部知二氏訳』(書評欄)(Oberon 2(1) 48〜52 昭和13.5(1938))(1938.3.30)
- 『自然を描くこと』(Oberon 2(2) 67〜70 昭和13.8(1938))(1938.6.24)
- 『自我・喜劇精神(メレディスの短篇を繞つて』(Oberon 2(3) 31〜39 昭和13.11(1938)」 (1938.10.4)
- 『語學畑の副産物(豊田實著)』(書評欄)(Oberon 2(4) 84〜85 昭和14.3(1939)」 (1938.6.24)
- 『「麦と兵隊」の英譯』(書評欄)「Oberon 3(1) 29〜32 昭和14.6(1939)」(1938.6.24)
- 『メレディスの女性観:傳記的興味を中心として』 (Oberon 4(1) 32〜45 昭和15.7(1940)」(1940.5.5)
- 『藤村「夜明け前」−歴史小説としての一考察−』(熊野文化 1 2〜26 1951.3)
- 『柑子のつゆ』(短歌)(熊野文化 1 72〜73 1951.3)
- 『再び「平凡」文化について −山路君の批判に答へ−』 (熊野文化 3 28〜30 1953.7)
- 『事故(創作)』 (熊野文化 3 97〜105 1953.7)(1953・4・6 尾鷲商工会議所会頭)
- 「巻頭言」(熊野文化 4 1 1953.12)
- 『いものよの当代さまにつき世相ものもうす談義 −架空対談集−』(熊野文化 5 2〜13 1954.6)
- 『「熊野文化」第四号を読んで』(熊野文化 5 89 1954.6)
- 『ごまめのはぎしり』 (熊野文化 6 2〜10 1954.11)(1954年9月16日 尾鷲市林町)
- 『「熊野文化」第五号を讀んで』 (熊野文化 6 121〜124 1955.6)(尾鷲市林町)
- 『あの頃のこと』(潜望鏡) (熊野文化 7 15〜17 1954.11)(尾鷲市林町)
- 『懸賞「コント・随筆」選後評』(熊野文化 7 76 1954.11)
- 『熊野文化第六号作品評』(熊野文化 7 106〜112 1954.11)(尾鷲市林町)
- 『尾鷲人という人間』(熊野文化 8 20〜32 1955.12)(1955・9・30 尾鷲市林町)
- 『熊野文化第七号作品評』(熊野文化 8 103〜105 1955.12)
- 『地方文化について −今や地方文化というものはない−』(熊野文化 10 2〜12 1956.12)
1956.10.2
- 『若き教師の友に −「人間の壁」をつき破るために−』(熊野文化 12 2〜9 1960.1)
1958.4.28
●その他
- 『永遠の青年』(立原道造記念館 創刊号 p.6〜7 1997.3.27)
- 『綴方』(南海日日新聞? 1997.4.18)
- 『立原道造と紀の国』(風信子通信 立原道造の会 第1号 p.3〜4 1994.12.25)
- 『立原道造と尾鷲』(南海日日新聞 1986.11.30)
- 『立原道造と私』(風信子 立原道造を偲ぶ会会報 第3輯 p.28〜42,27 1983.3.10)*
- 『樹霊』(文芸 昭和21年3/4月合併号)
群島(8(2) 4〜12 昭和16.6)で書きかけた『神話 −山と海との小さな町−』を戦後書きかえて,『文芸』(通巻第13号 昭和21.4 河出書房)に発表したもの。
以下調査中(11月2日現在)