近代松阪の木材生産
近代松阪の木材生産
松阪木材史資料の展示について
現在、建築部材として鉄骨やコンクリートなどが多く用いられていますが、依然として木材が主要であることは変わりません。ただ、木材といっても、国産材に比べ最近では外材が使われる率が高くなっています。
しかし、三重県は「林業県」として、大量の木材を産出してきました。特に「尾鷲林業」は良質のヒノキ材を生産して全国的にも有名ですが、松阪地区も古くから木材の集散場として知られてきました。
嘉永7(1854)年(安政元年)6月の「安政伊賀地震」は伊賀地方や北勢地方は多くの建物被害をもたらしましたが、製茶や製糸業で著名な三重郡室山村 (現四日市市)の伊藤小左衛門は、すぐ弟を松阪に派遣して材木を調達し、味噌・醤油蔵を建て直しています。このように、松阪地区は材木市場の中心地で、飯 南・飯高の山地から送り出された材木を大口港(松阪港)から桑名・四日市など北勢地方や名古屋に材木を送っていたのです。それは昭和50(1975)年代 に松阪地区に150余の製材所があり、昭和44年には松阪木材団地が設置されていることからも明らかです。なお、昭和50年の松阪市の工業生産額約 1,147億円のうち木材は約174億円で、全体の15%を占めていました。
【 松阪地区 木材界の歩み 】 (昭和54年9月刊行) |
【 大口港・松阪駅出荷和帳 】 (大正十三年四月壱日) |
【 工場関係重要書類綴 】 (伊勢木材株式会社) |
今回展示する資料は、昭和54年9月に松阪地区木材協同組合が設立30周年を記念して発行した『松阪地区 木材界の歩み』の編さんに使われた資料の一部です。
この編さんには、当時農学部の笠原六郎教授が当たられました。その時に収集された資料は、その後も農学部(生物資源学部)に保管されていましたが、数年 前に当附属図書館に移されました。現在、誰もが閲覧できるように研究開発室で資料整理を行っており、その一部を展示します。
既に『松阪地区 木材界の歩み』は編さん・刊行されていますが、原資料であり、書かれなかった詳細な歴史や違った観点からの調査・研究に寄与するもので、今後も大切に保存する必要があります。
* こちら をクリックにて展示物の画像が拡大してご覧いただけます。 [pdf:608KB]
資料の概要
『松阪地区 木材界の歩み』編さんのための収集資料は、およそ500点、文書箱に入れて9箱分となり、ほかにマイクロフィルムが35本ほどあります。その主な内容は、以下のとおり分類できます。