明治初期、県民への公報伝達

明治初期、県民への公報伝達

埋もれていた本館所蔵の県布達類

三重大学附属図書館には、旧飯高郡八重(やえ)田村(だむら)(現松阪市)宛の、 度会県(わたらいけん)・三重県の明治初期の布達(ふたつ)類が所蔵されています。 県民への情報伝達のために発行された布達は、県の動きを知るために欠かせない資料ですが、 その全てが今日確認されているわけではありません。 特に明治9年に三重県と合併した度会県の布達は散逸が進み、その全体像を知ることはできませんでした。 本学蔵の度会県布達はその欠を補うものです。この展示では、度会県と、これを継承した三重県の布達類に よって、明治初期の県政の動きや県民への広報伝達のあり方をみていきます。

 

本館所蔵の明治前期の県布達類等一覧

布達以下は、飯高郡八重田村(現松阪市)の戸長役場が所蔵していた明治前期の度会県・三重県の布達類である。かつての学芸学部図書館に寄贈されたが、本館に移ってからは一般の閲覧対象になっていなかったので、今回、その整理作業を行った。

※備考欄に*印があるものについては上記画像をクリックすると、拡大で内容の一部がご覧になれます。

番号 年代 表紙等 備考
1-1 1874 明治七年 上梓御布告 *
1-2 1874 明治七年 上梓御布告  
2-1 1875 明治八年 上梓御布告 甲ノ部 *
2-2 1875 明治八年 上梓御布告 甲ノ部  
2-3 1875 明治八年 上梓御布告 乙ノ部  
2-4 1875 明治八年 上梓御布告 丙ノ部  
3-1 1876 明治九年 上梓御布告 甲ノ部 *
3-2 1876 (明治九年 上梓御布告 乙ノ部)  
3-3 1876 明治九年 上梓御布告 丙ノ部  
3-4 1876 明治九年四月合併後ヨリ 大政官・内務省・大蔵省・文部省 上梓  
3-5 1876 明治九年四月合併後ヨリ 天甲上梓御布告  
3-6 1876 明治九年四月合併後ヨリ 天乙上梓御布告 *
3-7 1876 明治九年四月合併後ヨリ 地甲上梓御布告  
3-8 1876 明治九年四月合併後ヨリ 地乙上梓御布告  
4-1 1877 明治十年ヨリ仝十二年マテ 御布告綴  
5-1 1878 明治十一年一月ヨリ 天甲 上梓御布告  
5-2 1878 明治十一年一月 太政官 工部卿 大蔵卿 文部省 御布告  
6-1 1879 明治十二年 天甲上梓御布告(1月~2月) *
6-2 1879 明治十二年三月ヨリ四月ニ至ル 御布告  
6-3 1879 明治十二年五月 御布告綴(4月~6月)  
6-4 1879 明治十二年八月 御布告綴(7月~9月)  
6-5 1879 (朱)明治十二年 御布告纏(9月~10月)  
6-6 1879 明治十二年十一月ヨリ十二月マテ 御布告綴  
6-7 1879 明治十二年 太政官 工部卿 大蔵卿 文部省 御布告  
7-1 1880 明治十三年一月ヨリ五月マデ 御布告綴  
7-2 1880 明治十三年一月ヨリ三月マデ 御布告綴  
7-3 1880 明治十三年四月ヨリ十四年一月迄 御布告綴  
7-4 1880 明治十三年六月ヨリ七月ニ至ル 御布告綴  
7-5 1880 明治十三年七月ヨリ十月マテ 御布告綴  
7-6 1880 明治十三年十一月ヨリ十二月 御布告綴  
7-7 1880 明治十三年九月 治罪法御布告  
8-1 1881 自明治十四年一月廿日 至同十四年三月五日 御布達  
8-2 1881 明治十四年三月十二日ヨリ同十四年四月廿一日マテ 御布達  
8-3 1881 自明治十四年六月 至仝年七月 御布告綴 *
8-4 1881 明治十四年六月十九日ヨリ同七月十二日迄 御布達  
8-5 1881 明治十四年十月ヨリ十一月マテ 御布告綴  
8-6 1881 明治十四年十一月 御布告綴  
8-7 1881 明治十四年十二月 御布告綴  
9-1 1882 明治十五年一月ヨリ 御布告綴  
9-2 1882 明治十五年二月ヨリ三月マテ 御布告綴  
9-3 1882 明治十五年三月 御布告綴  
9-4 1882 (明治十五年四月~五月 御布告綴)  
9-5 1882 (明治十五年五月~六月 御布告綴)  
10-1 1882 明治十五年 自七月~至八月 御布達  
10-2 1882 明治十五年七月ヨリ九月マテ 御布告 *
10-3 1882 明治十五年 自九月 至十二月 御布告 *
10-4 1882 明治十六(十五)年 自十一月 至十二月 御布達  
11-1 1883 明治十六年 自一月 至三月 御布達  
11-2 1883 明治十六年 自四月 至五月 御布達  
11-3 1883 明治十六年 自六月 至七月 御布達  
11-4 1883 明治十六年 自十月 至十一月 御布達  
11-5 1883 明治十六年 自十一月 至十二月 御布達  
12-1 1884 明治十七年三月 御布達  
12-2 1884 明治十七年三月 御布達  
12-3 1884 (明治十七年七月~十二月 御布達)  
13-1 1885 明治十八年八月至十二月 御布告・御布達綴  
14-1 1886 明治十九年八月~廿年二月マテ 官令布達集 *

(後日、度会県の布達類件名目録を公開予定)

 

明治前期、飯高郡八重田村の行政区画変遷

明治前期の布達類が所蔵されていた飯高郡八重田村は現在の松阪市に属し、明治期には以下のような行政区画の変遷があった。

明治4(1871)年7月14日(旧暦)
元和5(1619)年以降紀州藩松坂領で、第1次廃藩置県で和歌山県となる

明治4(1871)年11月22日(旧暦)
第2次廃藩置県が実施され、度会県となる

明治5(1872)年6月25日(旧暦)
大区小区制により、第3大区7小区に所属 

明治7(1874)年7月17日(新暦)
度会県は大区小区制を廃止し、20区制とする。八重田村は第10区に含まれる

明治9年(1876)年4月18日
度会県は三重県(安濃津県は明治5年3月に三重郡四日市に県庁を移し、三重県と改称)と合併し、三重県となる

明治11(1878)年3月10日
旧度会県側の20区制を廃止して第11~18聯区を置く、第10区は第13聯区となる

明治12年(1879)2月5日
区制を廃止して、村名の復活。戸長廃置組合が設定される(八重田村は深長村・岩内村と組合)

明治15年(1882)1月20日
八重田村単独で戸長廃置される

明治17年(1884)9月24日
10月1日から八重田村・深長村・岩内村・伊勢寺村・殿村・野村で聯合戸長役場が設置され、深長村に役場位置が決定される

明治22年(1889)4月1日
町村制施行により、上記村々で伊勢寺村が誕生する

三重県図
※ 画像クリックで拡大してご覧頂けます。

 

度会県の設置と変遷

設置と変遷

 

度会県・三重県の布達類区分

1. 度会県は、明治6年になって布達類を木版印刷して発行することにし、明治8年1月以降は布達類を次のように区分した。

太政大臣布告をはじめ、政府の布達類の伝達で、「可触示候事」とある。
度会県庁が広く一般に布達する内容で、「可相心得候事」や「此旨布達候事」とある。
「正副区戸長」「学務取締」等が宛先で、「可取計候事」「可差出事」等事務的な達である。

2. 一方、三重県側では、8年1月より本県布達を「天」、達書を「地」、人相書布達を「人」とし、布達は人民一般に頒示し、達書は区戸長や用掛へ頒布していた。


3. 明治9年4月18日、三重県と合併して度会県はなくなり、布達類の区分も4月30日付けで以下のように変更された。

天甲 管下一般に係る布達 天乙 地域を限る布達
地甲 一般の区戸長に宛てる達 地乙 地域を限る達

4. さらに、明治12年2月5日(甲第2号)付けで、布達類の区別が変わる。

人民に布達 沿岸各郡役所及浦役人への達
郡役所及び戸長役場への達 報告 各種事業などの報告、広報

5. 明治19年9月13日(県令第1号)付けで「三重県公文例」が定められ、以下のように区分され、翌20年4月1日以降、県公報として発行されるようになる。

県令 管内一般に布達 告示 管内一般に公示するもの
訓令 郡役所・警察署・戸長役場・学校教員等への達 報告 各種事業などの報告、広報