三重大学人文学部フォーラム in 東紀州 2003 フォーラム会場でのご質問に対する回答

フォーラムについて | これまでの開催記録 |  お問い合わせ ]

2001~2004 |  2005 |  2006 |  2007 |  2008 |  2009 |  2010 |  2011 ]


以下は、9月3日(水)に行われました山本真吾人文学部助教授による講演「東紀州ことば探検」において出されたご質問に対して、その後の調査を踏まえて回答するものです。 その他の講演内容につきましてもご質問、ご意見等ございましたら、ご遠慮なくフォーラム事務局までご連絡ください。


フォーラム会場でのご質問に対する回答

山本真吾

 

1,「ブエン(無塩)」の語史と地域方言残存との相関性について

「ブエン」は本来漢語で、中国の古典(『管子』など)に見え、塩気のないこと、塩を用いな いことの意味で用いられています。日本でも、中国古典の漢語と同じ意味で用いられることもありますが(洒落本・道中粋語録など)、中世には、〈塩を用いな い〉意から派生して、特に魚介などが〈生(なま)である〉〈新鮮である〉といった意で用いられる古典の文献例が拾われます。

平家物語諸本では、教科書のテキストである覚一本や源平盛衰記にも使われていますが、さらに遡って、最も古い姿を残すと説かれる延慶本にも、

○木曽、「何カガ、ケ(食)時ニワイタニ、物マヒラセデハ可レ有。無塩平茸モアリツ。トクトク」と云ケレバ、(第四・一八木曽京都ニテ頑ナル振舞スル事、三七オモテ)

とあって、鎌倉時代の確実な例が存在します。但し、「ブエン」の対象は魚ではなく、平茸です。

近世には、浮世草子や人情本などで〈うぶな人〉、〈純粋な人〉といった意味にも転じてゆきますが、現代日本語の方言に残っているのは、もっぱら〈生である〉〈新鮮である〉の意味の方のようです。

〈生で新鮮〉の意味では、さかなや卵さらには野菜に及ぶまで広く使い、岩手県・新 潟県・茨城県等の東北地方と、島根県・岡山県の中国地方、それから、大分県・鹿児島県の九州地方に分布しています。〈鮮魚〉に限定するのは、長野県、奈良 県といった海のない県や岐阜県飛騨地方などの山村にやや偏りを見せて分布するようです。

さらに〈刺身〉を意味する方言として使われているのは、島根県と熊本県、鹿児島県の報告があります。

この「ブエン」は現代共通語からは姿を消しますが、方言には残る「漢語」の事例として貴重だと思います。

「ブエン」が漢語出自であることはほぼ動かないように思われます。それは中国古典 に文献例の存することが最たる根拠ですが、語頭が濁音で始まっていることや語末が撥音(はねる音)であることもその傍証となります。(もちろん、中世以降 誕生したことばや擬声語などでは例外もあります。例;「ばける」「ガンガン」など)

ただ、この分布をどのように解釈するかはなかなか難しく、少なくとも、これと関連づけて当時の政権交替等の歴史的事実の解釈にまで及ぼすことは、現段階の、このことばの歴史と方言分布だけで無理のように思います。

ですが、古典の文献例と、現代日本の諸方言の分布のかたちから、そのことばの歴史の多面的な姿を描くことは、実のところまだまだ不十分で、多くの国語辞典の記述について不満の集中する点でもあります。

今回お教え頂いたことを、より発展させてゆくことで、一つ一つの言葉の誕生から方言として残存するまでの軌跡を明らかにしてゆきたいと思います。

 

 

2,「まいまい」の意味用法と方言分布について

「こちらの方言で[まいまいだ]という言葉がある。これは単に疲れたという意ではなく、充実感があった、楽しい疲労感を表現する」とのご教示を頂きました。これについて、現行の方言辞典等でどのようになっているか調べてみました。

「まいまい」の意味は、日本の諸方言では、おおよそ次の意味用法があり、実に多様です。

まず、フォーラムでも話題にさせて頂いた「かたつむり(でんでん虫)」を指すもので、北関東と中国地方に偏って分布します。

「かたつむり」以外の虫にも使うことがあり、みずすまし(鳥取・広島など)・ありじごく(岐阜飛騨・福井・滋賀)の報告例があります。

次に、その回転のかたちに注目して、つむじ・つむじ風・渦の意味で使う土地があります。山口県・香川県や、三重県志摩郡で用いられるようです。

さらに、車を意味する例も知られ、香川県・高知県の幼児語の報告があります。特に岡山県では、「水車」を指し、香川県では「乳母車」を指すともあります。

その回転のかたちが子どもの遊びに取り入れられて、手をひろげてくるくる回る子どもの遊びを指す土地もあります。兵庫県神戸市や和歌山県、愛知県名古屋市などで聞かれます。

沖縄県石垣島の報告では、マイマイは「大きい」ことを言うそうです。

さて、高松の例としてご紹介くださった例は、方言辞典でも紹介されていて「今日は まいまいしたわい」(香川県)の文例が挙がっています。ただ意味記述は、「忙しく動き回ること。てんてこまい。」といった程度で、その使いざまの細かな ニュアンスまでは伝えてくれていません。

さらに、三重県北牟婁郡の例として報告されているのは、「まいまい申す」「まいま い言わす」の文例を挙げて、「やっつけられて降参すること」意味であると記述されています。(これに関連して、三重県伊賀地方と奈良県には、幼児語で「終 えること。かたづけること。」の意味で使われるとあります)

北牟婁郡の報告例は、少しご教示頂いた意味とはズレがあるようにも思われますので、その点さらに確認作業が必要となります。これについては、もうしばらくお時間下さいますようお願い致します。

この「まいまい」は、音声的にも種々のヴァリエーションが見られ、マーマー、マンマイ、マエマエ、メーメー、マイマイコ、マイマイギッチョ、マイマイジョー…と多彩です。

日本全国に広く見られる、この「マイマイ」ですが、意味用法も多義的であり、その意味を手がかりにして、分布から伝播経路を推測することが可能となるかもしれませんので、今後もう少しデータを集めて、考察してみたいと思います。

〈参考〉監修徳川宗賢、徳川宗賢・佐藤亮一編『日本方言大辞典』(小学館)