三重大学人文学部フォーラム in いなべ 2004 第6回報告

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12月1日(水)
19:00~20:00 講演
20:15~21:00 パネルディスカッション
講師: 西川 洋 人文学部教授

「員弁町の地租改正・伊勢暴動・自由民権運動」

参加者:21名

[講評]

明治9年の地租改正に端を発し、松阪に伊勢暴動が始まった。一見すると、地租改正による増税が原因で、農民は地租改正に正面切って反対し、伊勢暴動が起 こった、と思われる。だが、実はそうではなかった。統計資料を見る限り、旧三重県は増減税の少ない県に入り、旧渡会県は大量減税の県に位置付けられる。

農民の不満は、地租改正そのものに対してではなくて、米価が下がったにも拘わらず、米価が高い時のままの税金を課せられるところにあった。農民は、請願と いう江戸時代からの合法的手段によって、現物(米)納税を認めるように要求した。うわさとして、「現物3分の2、現金3分の1」が流れていた。しかし、実 際には「現物3分の1、現金3分の2」が決った。怒った一部の庶民により松阪の銀行が焼かれた。いわゆる伊勢暴動の始まりである。それは、北に上がるにし たがって激しさを増して行った。員弁郡は、役場、学校等が焼き討ちに遭い、県内でも唯一被害の大きかった地域で、処罰された者の数は戸数比で約82%、重 罪者数は同じく約11%あった。西川講師は、この数値に疑問を挟み、実際に乱暴を働いたのは地元民ではなく、よそ者であろう、と推察している。

その後の員弁郡の地租改正に対する動きは、「地価修正運動」となり、これは合法的請願活動で県内でも一番大きな広がりを持った。「地価修正運動」(関西地域の運動で、東北地域は「地租軽減運動」であった)は、「伊勢暴動」と「自由民権運動」をつなぐもの
として位置付けられるが、それぞれ行動の主体が違い、「地価修正運動」が単純に政治的な「自由民権運動」に結びついたとは言えない。当時の三重県会議員も地元密着型で、「自由民権」よりも「地価修正」に力を入れた。

「地価修正運動」は、明治24年に畑は9年比約79%、明治25年に田は9年比約82%という大幅な地価修正を実現させた。

パネルディスカッションでは、街の歴史学者が多く参加していたこともあって、員弁郡近隣の多度町では、「地租改正」があっても何らの動きもなく、「伊勢暴 動」にも参加していないのはなぜか、当時の国会で関東系と関西系の国会議員の間で「地租改正」を巡って論争が起こった背景は何か、員弁で多数の被処罰者を 出した為政者の意図は何か等について、講師と参加者の間で活発な意見交換が行われた。 (友永輝比古)